90. 『クルマエビ』“俺?そりゃ、値はするぜ” 人間も魚も求める砂底の一流品
シバエビが「わたしゃ、ただの小エビよ」と謙遜するなら、クルマエビは少し違います。
美しい縞模様。
大きく育った身体。
跳ねる力。
そして、日本料理の世界で長く積み重ねてきた評価。別に威張る必要はありません。
「ええ、私はクルマエビですけど。」
名前を名乗るだけで、それなりの扱いを受けられることを知っているようなエビです。
生態―昼は砂の中、夜になれば動き出す
クルマエビ(Marsupenaeus japonicus)は、クルマエビ科に属する大型のエビです。
日本では暖流の影響を受ける内湾を中心に分布し、伊勢・三河湾、瀬戸内海、有明海などが代表的な生息域です。
砂地や砂泥底を好み、成体はかなり深い場所まで見られますが、内湾の浅場も生活史上きわめて重要です。
クルマエビは基本的に夜行性です。
昼間は砂の中へ身体を潜らせて休み、夕方になると砂から出て活動を始めます。
砂へ潜る能力は単なる隠れ技ではありません。
大型魚やタコなどの捕食者から姿を隠しながら、日没後に餌を探すという生活そのものを成立させています。
食性は動物食の強い雑食性で、多毛類や小型甲殻類、貝類など、海底にいるさまざまな小動物を利用します。
そしてクルマエビ自身もまた、クロダイ、マダイ、スズキなどの沿岸魚やタコ類などに狙われます。
食べる者であり、食べられる者でもある。
ここだけ見れば、前回のシバエビと大きく変わりません。
しかし重要なのは、クルマエビの一生が一つの場所だけで完結していないことです。
成長段階によって、沖合の産卵場、浮遊幼生として過ごす水中、浅い干潟や砂浜、そして成長後の砂泥底へと生活場所を変えていきます。
つまり一匹のクルマエビを育てるためには、沖と岸、深場と浅場がつながっていなければならないのです。
干潟――高級食材の子ども時代は泥の中
大きなクルマエビを見ていると、完成された高級食材という印象があります。
ところが幼いころの重要な生活場所は、華やかな場所ではありません。
干潟です。
産卵された卵から孵化した幼生は水中を漂いながら発育し、やがてポストラーバと呼ばれる段階になると浅い沿岸域へ着底します。
干潟は、小さな生物が豊富に存在する巨大な育成場です。
だからクルマエビだけを保護すれば、クルマエビが増えるとは限りません。
産卵できる沖合があり、幼生を運ぶ潮があり、稚エビが育つ干潟があり、成体が暮らす砂泥底がある。
生態学的に見るクルマエビの価値は、内湾という複数の環境がつながって初めて一匹が完成することを教えてくれるところにもあります。
繁殖――海へ放たれる大量の卵
クルマエビの産卵は、地域によって幅がありますが、主として春から秋に行われます。
雌雄が交尾したのち、成熟した雌は夜間に泳ぎながら多数の卵を海中へ放出します。
抱卵して腹部で卵を守り続けるタイプのエビとは違い、クルマエビは卵を水中へ放つ方式です。
卵から孵化した幼生は、ノープリウス、ゾエア、ミシスなど複数の発育段階を経て、エビらしい姿のポストラーバになります。そこから浅場へ入り、干潟や砂浜などを利用しながら成長します。
「車海老」――身体そのものが家紋のようなエビ
クルマエビは漢字で**「車海老」**と書きます。
名前の由来は特徴的な縞模様です。
身体を丸く曲げたとき、腹部に並ぶ褐色の縞が車輪のような輪に見えるため、「車海老」と呼ばれるようになったとされています。
つまりこのエビは、身体そのものが名前になっています。
さらに面白いのが、大きさによって呼び名が変わることです。
小型のものを「サイマキ」、
少し成長したものを「マキ」、
大きくなると「クルマエビ」と呼ぶ市場・地域的な呼称があります。
まるで出世魚です。
まだ小さいころから「クルマエビ」という完成された看板を背負わせるのではなく、育った身体に合わせて呼び方まで変わっていく。
大きくなることが、そのまま格になっていくエビなのです。
クルマエビの養殖
熊本・天草――養殖を支えた土地
熊本県、とりわけ天草周辺はクルマエビ養殖で知られる地域です。
日本ではクルマエビの種苗生産・養殖技術が早くから発達し、天然資源だけに頼らず、人間が幼生から育てて市場へ送り出す産業が成立してきました。
活きた状態で価値が高いクルマエビは、オガクズなどを利用して低温で活動を抑え、活きたまま輸送されることもあります。
高級食材だからこそ、捕るだけではなく、どう育て、どう生かしたまま届けるかという技術まで発達したのです。
沖縄――南の海で育てる高級エビ
現在、沖縄もクルマエビ養殖の重要な地域です。
沖縄では1970年代ごろから養殖が本格化し、温暖な環境に合わせた生産技術が発達してきました。
冬場には出荷が盛んになり、刺身、塩焼き、天ぷらなどで食べられます。
鮮度のよい活クルマエビなら、刺身では透明感のある身の甘味と弾力が楽しめます。
食文化――一尾で皿の中心に立てるエビ
シバエビとの最大の違いは、料理を見るとよく分かります。
シバエビは何尾も集まってかき揚げになる。
クルマエビは、一尾で成立します。
頭から尾まで形が美しく、加熱すると赤く発色し、縞模様と曲線がさらに際立ちます。
そのため日本料理では、味だけでなく「姿」そのものが料理の価値になってきました。
江戸前――天ぷらと寿司
クルマエビを代表する料理の一つが天ぷらです。
殻を剥き、筋を切って身体を伸ばし、衣をまとわせて揚げる。
プリッとした弾力と甘味、衣の香ばしさ。
江戸前天ぷらでは、エビは中心的な種の一つです。
そして寿司。
生でも食べられますが、江戸前では茹でたエビを開いて握る仕事があります。
加熱によって赤と白の色彩が鮮明になり、シャリを覆う姿も美しい。
ただ新鮮なものを切って乗せるだけではなく、火入れによって甘味、食感、形を整える。素材の格と職人の仕事がぶつかる料理です。
塩焼き――何もしすぎない
大型のクルマエビなら、塩焼きも非常に贅沢です。
殻付きのまま塩を振り、焼く。
それだけです。殻が焼ける香りと、身から出る甘味を楽しみます。
素材そのものに力があるため、調味料を重ねる必要がありません。
小さければ天ぷら、大きければ塩焼き
クルマエビの面白さは、大きさによって料理の向き不向きまで変わることです。
小型のサイマキなら天ぷら。
中型なら寿司や天ぷら。
大きなものなら刺身や塩焼き。
成長するほど単純に「上」になるというより、身体の大きさごとに違う仕事が与えられます。
一匹のエビに、何段階もの完成形があるのです。
文化的価値――「それ相応に扱っていただければ」
クルマエビを人間にしたら、
威張る人ではないと思います。
むしろ、
静かです。
値段を聞かれても、
「まあ、それくらいでしょうね。」
料理人に丁寧に扱われても、
「ありがとうございます。」
特別扱いされることに驚きません。
なぜなら、
自分がそこへ来るまでに何を積み重ねてきたかを知っているからです。
もちろん、
自分の価値を知ること自体は悪いことではありません。
問題はその値打ちがいつしか、
「自分は、それ相応に扱われて当然だ」へ変わることです。
高く評価される。
丁寧に扱われる。
一流と呼ばれる。
それが長く続けば、
人はいつしか評価される以前から、
自分には特別席が用意されているような気持ちになることがあります。
自分を安く見すぎない。
自分を高く見すぎない。
そのちょうど真ん中は、
意外と難しい。
クルマエビは今日も美しい縞模様をまとい、
砂の中から夜の海へ出ていきます。
自分が何者なのかを、
最初から疑っていないような顔をして。
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