15. 威風堂々“岩陰に立つ王者”『イセエビ』という誇り
海に生きる生きものの中で、これほどまでに「堂々」という言葉が似合う存在がいるでしょうか。
それがイセエビです。
速く泳ぐわけでもなく、群れで身を守るわけでもない。
派手に色を変えることもなく、鋭い歯で噛みつくわけでもありません。
それでもイセエビは、海の底でひときわ目立つ存在感を放っています。
岩陰に身を潜めながらも、その長い触角は前へと突き出され、まるで「ここにいる」と宣言しているかのようです。
イセエビは、誇りを隠さない生きものなのです。
■ イセエビという名前に込められた意味
まず、名前の由来から見てみましょう。イセエビは漢字で 「伊勢海老」 と書きます。
これは、三重県・伊勢志摩沿岸で多く水揚げされ、古くから朝廷や武家に献上されてきたことに由来します。
つまり「伊勢」という地名は、単なる産地ではなく、格式と象徴性を背負った言葉でした。
「海老(えび)」という字も興味深いものです。腰が曲がり、長いひげをたくわえた姿が、長寿の老人を思わせることから、古くより 瑞兆・吉兆の象徴とされてきました。
伊勢海老という名前そのものが、すでに「尊ばれる存在」であることを語っています。
■ 見せびらかさない強さ――イセエビの生態
イセエビは夜行性です。昼間は岩の割れ目や洞穴に身を潜め、夜になると静かに動き出します。
派手な捕食者ではありません。貝類、小型の甲殻類、ウニ、海藻など、手に入るものを確実に食べる。
しかし、その身体は驚くほど頑丈です。
硬い外骨格
折れても再生する触角
強い脚力
そして何より、逃げることを前提にしない姿勢。
危険が迫ると、イセエビは無理に走りません。触角を立て、身体を張り、「簡単には通さない」という態度を見せます。
この在り方は、力を誇示するわけでも、弱さを隠すわけでもない。
ただ、自分の立場を分かっている生き方です。
■ 岩礁とともに生きる「場所の王」
クルマエビやシバエビなどは、
砂地に潜る
素早く後退する
群れで分布する
という特徴を持つ、いわば身軽で実務的なエビです。体は比較的柔らかく、人の手で養殖しやすい。
一方イセエビは、どこにでもいるわけではありません。
潮通しの良い岩礁域
隠れ家となる割れ目
外敵が多すぎない深さ
これらが揃わなければ、彼らはそこに根付きません。一度住み着くと、その場所を長く使い続けます。
漁師たちは知っています。
「良い岩場には、良いイセエビがいる」
イセエビは、場所の力を背負って生きる生きものなのです。
■「カニになる途中」ではありません
イセエビを見ていると、
硬い殻
長い脚
ゴツゴツした体
から、「カニに近い」「カニの原型では?」と思われがちです。しかし、これは進化の誤解です。
両者は同じ十脚目に属しながらも、異なる環境に適応した結果、進化の方向が分かれた別系統の生きものです。
カニが「体を畳み守る進化」を選んだのに対し、イセエビは「体を伸ばし構える進化」を選びました。
カニの最大の特徴は、
腹部を体の下に折りたたむ
横歩きに特化する
体を丸く、低くする
という極端な省スペース進化です。
これは、
岩陰に素早く潜る
外敵から身を守る
防御力を高める
ための進化でした。
一方イセエビは、
腹部を畳まない
前後に動く脚を保つ
長い触角で空間を探る
という、正反対の進化を選びました。
イセエビは、
岩礁の割れ目を住処にし
狭い空間で体をひねり
触角で先に危険を察知する
という生き方に適応しています。
つまり、
カニは「守りを固める進化」
イセエビは「構えを崩さない進化」
なのです。
■ イセエビの産卵形態――「海にすべてを預ける命の賭け」
イセエビの産卵は、非常に静かで大胆です。
主に 初夏~夏(5~8月頃)水温が上がり、外洋の流れが安定する時期にメスのイセエビは、腹部の内側に数十万~数百万個もの卵を抱えます。 卵はオレンジ色で、腹脚にびっしりと付着し、まるで命の房のように見えます。
イセエビは、
巣を作らない
卵を囲わない
生まれた後の子を育てない
代わりに、数で生き残りを託すという戦略を取ります。
卵はやがて孵化し、フィロソーマ幼生と呼ばれる、薄く透明で、まるで葉っぱのような姿になります。
フィロソーマ幼生は、
海底には戻らず
外洋を漂い
プランクトンとして生きる
期間は 約1年~1年半。これはエビ・カニ類の中でも異例の長さです。
彼らは、黒潮、対馬暖流、季節風による海流に乗り、日本列島を大きく回りながら成長します。
そして最後に、プエルルス幼生という小さなエビ状の姿に変態し、ようやく沿岸へ戻ってくるのです。
ほとんどの幼生は、帰ってこない。それでもイセエビは、「海にすべてを委ねる」
という生き方を選びました。ここに、イセエビのプライドが、ほんのりと匂います。
■ 漁師とイセエビ――敬意の対象
イセエビ漁は、単なる漁ではありません。
網、刺し網、わな。
どの方法でも、数を追いすぎると資源が壊れることを漁師たちは経験で知っています。
だからこそ、多くの地域で厳しい漁期制限が設けられ、小さな個体は必ず逃がされます。
イセエビは、「獲り尽くしてはいけない存在」として扱われてきました。
これは特別な魚介にしか与えられない扱いです。
■ 煩悩「大慢」が、ほんのりと漂うところ
仏教でいう「大慢」とは、他者を見下す傲慢さではありません。
「自分は特別だ」と疑わない心それが大慢です。イセエビは、自分を大きく見せようとはしません。
しかし、
自分の居場所を譲らない
身を引かない
誇りを下げない
その姿には、「私はここにいるべき存在だ」という静かな確信が漂います。
それは傲慢ではなく、長い時間を生き抜いてきた者の自負です。この確信が、イセエビを王者たらしめているのかもしれません。
■ 食文化におけるイセエビの位置
イセエビは、日常の食材ではありません。
祝いの席、節目の日、特別なもてなし。
味噌汁、刺身、焼き物。どの料理でも、
「主役」であることを疑われない存在です。
特にイセエビの味噌汁は、
殻から滲み出る旨味が、
海そのものを感じさせます。
ここには、派手さよりも「格」があります。
▪️実は赤くない!?
海中で生きているイセエビは、
岩に溶け込む茶色がかった色をしいます。
そう、今あなたが思い浮かべている“真っ赤な伊勢海老”は、調理後の姿です。
イセエビの殻にはアスタキサンチンという赤い色素が含まれています。
しかし生きている間は、この色素がたんぱく質(クラスタシアニン)と結合していて、赤が隠されている状態です。
つまり赤は、外に見せるためではなく、内側を守るための色。
それを人は、
火を使う
調理する
祝いの場に出す
という行為によって、
イセエビの“隠された赤”を強制的に表に出しているのです。
イセエビの赤は、海中で生きるための色ではありません。
それは、人と出会ったときに初めて現れる、隠された誇りの色なのです。
■ 人の文化に深く根付いた存在
正月飾り、祝い膳、婚礼料理。
イセエビは、日本人の「願い」と共に並んできました。
長寿、繁栄、誇り。
そのすべてを象徴する存在として
イセエビは、人の欲望を刺激する存在でありながら、同時に「欲を慎め」とも語りかけてくるようです。
イセエビは、命を守り込む生きものではありません。
すべてを海に委ね、戻れる者だけが戻る。
その潔さと誇り高さが、古来より神に捧げられてきた理由なのかもしれません。
伊勢の海と神宮の歴史は、
イセエビという生きものを通して、今も静かに結び続けられています。
■ 終わりに――誇りとは、下げないこと
イセエビを見ていると、「誇り」とは何かを考えさせられます。
声を上げなくてもいい。
他者を押しのけなくてもいい。
ただ、自分の立つ場所を知り、そこに立ち続けること。
それが、イセエビの生き方です。
もし海で彼らに出会ったなら、少し距離を置いて眺めてみてください。
その沈黙の中に、
大きな誇りと、
静かな慢心が、
確かに息づいているはずです。