86. 『タラ』冷たい海の底で “食べられるものを食べ尽くす大食漢”

タラのイラストは準備中です。

冬になると鍋の中で白い身をほろりと崩すタラ
淡白で優しい味からは、どこかおとなしい魚を想像するかもしれません。
しかし海の中のマダラは、かなり印象が違います。食えるもんはなんでも食う
海底付近にいる魚類、エビやカニなどの甲殻類、イカなどの頭足類、貝類など。
まざまな動物をとことん取り込む。
タラという魚を理解するには、まずこの旺盛な「食べる力」から始めるのがよさそうです。

マダラとは──冷たい海の大きな底生魚

マダラはタラ目タラ科に属する大型魚で、学名は Gadus macrocephalus。全長1mを超えることもあります。
頭部が大きく、下顎には一本のひげ。背びれが三つ、尻びれが二つに分かれているのもタラ科らしい特徴です。
身体は灰褐色で、背中から体側には不規則な斑紋があります。
この「まだら模様」がマダラという和名の由来とされています。

日本では北海道周辺から東北、日本海側などの冷たい海に広く分布し、大陸棚からその斜面にかけての海底付近を利用します。
タラの世界は暗く、冷たく、底に近い
そこで大きな口を使って、周囲にいるさまざまな生物を食べながら成長していきます。


「何を食べるか」より「食べられるか」

マダラは、生態学的にはジェネラリスト捕食者としての性質と見ることができます。
特定の一種類の餌だけに強く依存するスペシャリストは、その餌が減少すると大きな影響を受けます。
一方、利用できる餌の種類が多い捕食者は、環境や餌生物の変化に応じて食物を切り替えられます。
タラの強さは、ある意味で「こだわらないこと」にあります。

魚がいれば魚。
エビがいればエビ。
イカがいればイカ。

海底の食卓に並んだものを、次々と自分の身体へ変えていきます。


繁殖──大量に食べ、大量に次世代を残す

マダラは冬になると産卵のため沿岸側へ移動します。
日本海系群では主な産卵期は1~3月で、砂泥底や礫底などに産卵場が形成されます。
成熟開始年齢は海域によって差がありますが、おおむね3~4歳前後から成熟する個体が現れます。

そしてタラ類は非常に多くの卵を生産する魚です。
大型の雌ほど多数の卵を持ち、一度の繁殖で膨大な数の次世代候補を海へ送り出します。
しかし、そのほとんどが成魚になるわけではありません。
大量に産み、その中の一部が生き残る。
食べる量も大きい。そして命を送り出す数も大きい。
タラという魚には、どこか「少しだけ」という感覚がありません。


「鱈」──雪とともにやってくる魚

タラを漢字で書くと「鱈」。魚偏に雪です。
この字は、雪の降る冬に旬を迎えるタラのイメージと非常によく重なります。
北海道ではタラの白子を「たち」と呼び、マダラの白子を「真だち」、スケトウダラを「すけだち」と区別します。
冬、とりわけ1~2月頃はタラを味わう代表的な季節です。
ただし「タラ」という呼称自体の語源については諸説があり、漢字の「鱈」から和名そのものの由来を説明するのは避けた方がよいでしょう。
そしてタラには、もう一つ有名な日本語があります。


「たらふく食べる」は、本当にタラが語源?

腹いっぱい食べることを、「たらふく食べる」と言います。
漢字では「鱈腹」と書くことがあります。
タラは大きな腹と口を持ち、さまざまな獲物を旺盛に食べる魚ですから、「タラの腹のようになるまで食べる=鱈腹」ということでしょうか。

語源として有力なのは、「十分になる・満ち足りる」という意味の古語「足らふ」に副詞語尾の「く」が付いたという説ですが、大きな口で旺盛に食べるタラのイメージが、あまりにも「腹いっぱい」という言葉に当て字としてピッタリだった事は想像に難くないですね。


タラ釣り──深い海底へ仕掛けを落とす

マダラは船釣りの対象にもなります。
基本は水深のある海域で、仕掛けを海底付近まで落として狙います。
胴突き仕掛けやジギングなどが用いられ、餌釣りでは魚の切り身などを利用します。
重要なのは底を取ることです。
大型個体が掛かれば重量感のある引きを楽しめますが、タラ釣りの魅力はファイトだけではありません。
釣り上げた後にあります。


タラを食べ尽くす──捨てるところが少ない冬のご馳走

タラは「食べる魚」として完成度の高い存在です。
身。
白子。
卵。
肝。
タラは一匹から取れる食材が非常に多い。

タラの食文化を語るなら、まずです。
マダラの身は白く淡白で、加熱するとほろほろと繊維がほどけます。
脂の強さで押す魚ではないため、昆布だし、味噌、野菜、豆腐など周囲の食材を邪魔しません。
たらちりでは昆布だしで身を煮て、ポン酢などで食べます。
身そのものの繊細な旨味を楽しむ非常に合理的な料理です。

北海道ならさらに重要なのが白子です。
マダラの白子は「真だち」と呼ばれ、濃厚でクリーミーな味わいを持つ冬の高級食材です。
味噌汁へそのまま入れる「たちの味噌汁」は北海道の代表的な冬料理で、白子から出る濃厚な旨味が汁全体へ広がります。
新鮮な白子なら、湯引きしてポン酢、焼き物、天ぷらなどでも食べられます。

東北ではじゃっぱ汁のように、身だけでなく頭、骨、内臓など「アラ」を利用する料理文化があります。
ここでは魚を綺麗な切り身へ加工してから料理するのではありません。
一匹を解体し、食べられるところを鍋へ戻していく。
タラの旨味を余すところなく回収する料理です。

富山県朝日町周辺にはたら汁文化があります。
かつてタラ漁が盛んだった地域で、スケトウダラをぶつ切りにし、身だけでなく頭、肝、白子、真子まで大鍋へ入れ、味噌で豪快に煮込みます。

そして京都へ行くと、姿が変わります。
内陸まで魚を運ぶには保存が必要だったため、タラは干物へ加工されました。
その代表が棒ダラです。
乾燥させたタラを時間をかけて水で戻し、海老芋と炊き合わせた京都の芋棒などに使います。

このように同じタラが、寒冷地から内陸へ移動するにつれて料理を変えていきます。
さらにスケトウダラまで視野を広げれば、たらこ、明太子、すり身という巨大な加工食品文化へつながります。
タラという魚を人間がどれほど徹底的に利用してきたかが伺えます。


文化的価値──満ち足りるまで取り込む

タラを人間に置き換えると、
非常に分かりやすい人物が現れます。

好き嫌いが少ない。
出されたものは食べる。
新しいものも試す。
まだ腹に入るなら、
もう一皿頼む。

悪気はありません。
むしろ、
何でも受け入れられることは強さです。

仕事でも知識でも人間関係でも、
「これは自分には必要ない」と切り捨てず、
経験を次々と自分の中へ取り込んでいく人は成長します。

しかし、
どれだけ取り込めば、
十分なのでしょうか。

ここで「たらふく」という言葉が、
偶然にもタラへ戻ってきます。
食べられるものを次々と腹へ入れていく大食漢。

しかし「たらふく」という言葉の奥にあるのは、
さらに食べ続けることではなく、
「もう十分だ」と満ちること。
なのです。


たくさん食べる能力よりも難しいのは、
どこで満ち足りたと知ることなのかもしれません。

冷たい海の底で大きな口を開くタラを見ていると、
そんな人間の欲の形まで、
どこかあの大きな腹の中に見えてきます。



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