72. 『ネコザメ』広い海より、慣れた岩場。 "サザエを食べて生きるサメ"の正体

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岩場の底で黄土色の縞模様が揺れています。
サメにしてはのんびり屋さんでサザエの殻を砕いて食べている。
ネコザメです。
ネコザメは、ネコザメ目ネコザメ科に属する底生性のサメです。
学名は Heterodontus japonicus
日本近海を中心とする北西太平洋に分布し、成長すると全長1メートル前後、最大で約1.2メートルに達します。
流線形の体で外洋を疾走する一般的なサメとは異なり、
丸く大きな頭とずんぐりした胴体を持ち、沿岸の岩礁や海藻の茂る海底をゆっくり泳ぎます。



猫に見える、古い姿のサメ

「猫鮫」という和名は、丸みを帯びた頭部や、
目の上が隆起した顔つきが猫を思わせることに由来するとされています。
東京周辺で使われていた呼び名が標準和名になったともいわれます。
一方、英名のJapanese bullhead sharkは「牛のような頭をした日本のサメ」という意味です。
見る人によって猫にも牛にも見える、正面からの顔が強く印象に残る魚なのです。

ネコザメの仲間は、前方に尖った歯、奥に平らな臼歯状の歯を持つため、
属名の Heterodontus には「異なる歯」という意味があります。
小さな獲物をつかむ前歯と、硬い殻を押し潰す奥歯を使い分ける構造です。
サザエなどの巻貝を割って食べることから、「サザエワリ」という別名でも知られています。

背びれの前には一本ずつ硬い棘があります。
これは高速遊泳や積極的な攻撃のためではなく、捕食者に丸呑みにされにくくする防御装置と考えられます。
速さではなく、硬さと噛む力によって身を守るサメです。



岩礁と藻場にとどまる生活

ネコザメは沿岸の大陸棚に生息し、とくに岩礁、転石帯、海藻の茂る藻場を好みます。
海底近くで休んでいる時間が長く、主に夜間に活動します。
外洋を広く回遊するのではなく、海底の起伏をたどりながら、
岩の割れ目や同じような隠れ場所を繰り返し利用する生活です。

生態学的には、ネコザメは岩礁域における「硬い殻を持つ底生動物の捕食者」に位置づけられます。
主な餌はサザエなどの貝類、カニやエビなどの甲殻類、ウニ、小型魚です。
顎を前方へ突き出して獲物をつかみ、幅広い奥歯で殻ごと砕きます。

大きな獲物を追って遠くへ行かず、その場所にあるものを地道に砕いて食べる。
生息範囲の狭さは能力の不足ではなく、安定した岩礁環境へ高度に適応した結果ともいえます。



螺旋状の卵を岩の隙間へ残す

ネコザメは卵生です。
雌は、両側に螺旋状のひだを持つ特徴的な卵殻を産みます。
産み落とされた卵は海底を転がることもありますが、
雌が口でくわえ、岩の割れ目へ押し込む行動も知られています。
螺旋状のひだが岩に引っかかることで、波や潮流に流されにくくなると考えられています。

産卵時期には地域や飼育環境による幅があります。
卵の内部では長い時間をかけて仔魚が成長し、孵化まで約一年を要します。
多くの卵を海中へ放出する魚と異なり、少数の大きな卵へ時間をかける繁殖戦略です。

安全そうな割れ目に置かれたからといって、すべての卵が孵化できるわけではありません。
発生停止や捕食、環境変化などによって失われるものもあります。
卵殻の中でほぼ一年を過ごす仔ザメは、広い海へ急いで出るのではなく、
守られた狭い場所で自力生活の準備を整えます。



捕食者であり、狙われる側でもある

成長したネコザメは頑丈な体、背びれの棘、岩礁に紛れる褐色の縞模様を持つため、
簡単に捕食される魚ではありません。
ただし幼魚や卵は、大型魚やタコ類などに襲われる可能性があります。
成魚も大型のサメ類や海生哺乳類に捕食されることが考えられますが、
ネコザメを専門に狙う天敵についての知見は限られています。

人間に対しては比較的おとなしく、積極的に襲うサメではありません。
しかし、捕まえたり不用意に口元へ触れたりすれば、貝殻を割る顎で強く噛まれる危険があります。
また背びれの棘にも注意が必要です。
親しみやすい顔をしていても、手の中へ収まるために生きている魚ではありません。



食べられるが、名物にはならなかった魚

ネコザメは食用可能ですが、全国的な流通魚ではありません。
漁業上の重要度は低く、定置網や刺し網、釣りなどで混獲された個体が沿岸部で利用される程度です。
特定地域を代表する郷土料理も、モウカザメやアブラツノザメほど明確には形成されていません。

その理由の一つは、肉質が非常に淡泊で、旨味の強いサメではないことです。
またサメ類の肉には尿素が含まれ、鮮度が落ちるとアンモニア臭が生じやすいため、
締めた後の血抜き、内臓除去、低温管理が重要になります。
ネコザメをおいしく食べる条件は、料理法以前に「早く、丁寧に処理すること」です。

刺身や湯引きにする場合は、鮮度のよい個体を使い、皮を取り除くか、
熱湯を当てて表面の硬い楯鱗をこそげ取ります。
身そのものは白く、脂や旨味は穏やかです。一方、皮下にはゼラチン質があり、
湯引きにすると身の淡泊さの中に、ぷるりとした甘味が感じられます。
酢味噌、辛子酢味噌、ポン酢、紅葉おろしなど、輪郭のある調味料が向いています。

最も食べやすいのは唐揚げやフライです。
尾に近い部分や胴肉を食べやすく切り、酒、醤油、生姜やニンニクで下味をつけ、片栗粉をまぶして揚げます。
加熱すると白身は柔らかくなり、皮下のゼラチン質には粘りが出ます。淡泊さが油とよくなじむため、
塩だけで食べるよりも、南蛮酢、甘酢あん、タルタルソースなどを添えると持ち味が生きます。
天ぷらでは厚切りにせず、薄めに切って水分をよく拭くのが適しています。

煮付けにする場合は、霜降りして表面のぬめりや臭いを除き、生姜、酒、醤油、砂糖でやや濃いめに煮ます。
身の味が強くないため、薄味よりも甘辛い煮汁が合います。
皮付きで煮ればゼラチン質が煮汁へ溶け、冷めると煮こごりになります。
味噌煮や韓国風の辛い煮付けにも向くでしょう。

伊豆諸島、相模湾、紀伊半島、四国、九州など、ネコザメが見られる沿岸では、
混獲された個体を漁師や釣り人が唐揚げ、湯引き、煮付けとして利用する余地があります。
ただし、それぞれが確立した「ネコザメの郷土料理」というより、
地元で得られたサメを無駄なく食べる沿岸の知恵に近いものです。



海を怖く見せすぎないサメ

ネコザメは、水族館でも親しまれる存在です。
丸い頭、ゆっくりした動き、不思議な螺旋状の卵は、
サメがすべて高速で泳ぐ凶暴な捕食者ではないことを伝えてくれます。

飼育下で産卵や孵化を観察しやすく、
サメの繁殖、生態、体の構造を学ぶ教育的価値も高い魚です。

広い海を自由に泳げる体を持ちながら、
ネコザメは慣れた岩場を離れず、
夜になると静かに餌を探します。

速くなくても、
遠くへ行かなくても、
硬い殻を砕く歯と、
その場所を生き抜く知識があります。

世界を広げることだけが成長ではありません。
しかし、
安全な割れ目に長く身を置くほど、
外側の海は次第に遠くなります。

ネコザメは、
自分に必要な範囲を知り尽くした魚であると同時に、
その範囲の外へ出る理由を持たない魚なのです。



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