13. “静かなる棘” 『カサゴ』という岩礁の守り手
海の底には、騒がしさとは無縁の世界があります。
陽の光が届きにくい岩陰、海藻の揺れる隙間、潮の流れが一瞬ゆるむ場所。
そこに、じっと動かず佇む魚がいます。
激しく泳ぎ回ることもなく、群れを成して目立つこともない。
それでも確かな存在感を放ち続ける――それがカサゴです。
岩礁の隙間に身を寄せ、周囲の色と溶け合いながら生きるその姿は、決して派手ではありません。
しかし一度目にすると、不思議と忘れがたい印象を残します。
それは、外に向かって主張するのではなく、内側に確かな強さを秘めた生き物だけが放つ気配なのかもしれません。
この魚の“静けさの奥にある確かな意志”を探っていきましょう。
▪️岩に生きるという選択
カサゴは回遊魚ではありません。
広い海を移動することもなく、自ら選んだ岩場に留まり続けます。
潮の流れを読み、影に身を寄せ、静かに獲物を待つ。
それは怠惰ではなく、「待つ」ことを選んだ生き方です。
その生き方は、効率よりも持続を重んじる姿勢そのものです。
岩礁という環境は、決して優しくありません。
潮流は複雑で、身を守る場所は限られています。
しかしカサゴは、そこを「居場所」として受け入れました。
逃げるのではなく、適応する。
獲物が近づくその瞬間まで、微動だにしない。
そして一瞬で口を開き、確実に仕留める。
この慎重さと静けさは、海の中でも際立っています。
カサゴは、力で支配する魚ではありません。
むしろ、怒りを内に溜め、爆発させずに抱え続ける“耐える者”です。
▪️静かな怒りを抱く魚
カサゴは穏やかに見えて、実は鋭い棘と強い顎を持っています。
自分から争いを仕掛けることはないですが、
不用意に近づけば、確実に反撃を受けるでしょう。
鋭い棘、強い顎、そして一瞬の判断力。
静寂の中に溜め込まれた怒りが、瞬時に解き放たれます。
それは攻撃的というより、「踏み込まれたときにだけ現れる意志」です。
仏教で語られる煩悩のひとつに「瞋恚(しんい)」があります。
怒りや憤りを意味する言葉ですが、爆発的な感情ではなく、内に秘めた火のような感情を指します。
カサゴの在り方は、この「静かな怒り」にどこか重なります。
声を荒げることもなく、主張もしない。
しかし、踏み込まれるときには確実に境界線を示す。
それは感情を抑え込む弱さではなく、自分の領域を守るための静かな強さです。
■ 「カサゴ」という名の由来
「カサゴ」という名前は、岩場に“笠”のように張り付く姿に由来すると言われています。
頭が大きく、体がずんぐりしており、岩陰にじっと構えるその姿は、まるで笠を被ったよう。
また、地方によっては
・ガシラ
・アラカブ
などとも呼ばれ、地域ごとに親しまれてきました。
この呼び名の多さも、カサゴが人々の生活圏に近い魚だった証です。
磯釣り、堤防釣り、夜釣り。
身近な海にいて、気づけばそこにいる。
それでいて決して気安く触れない存在。
「近いのに、近づきすぎると痛い」
その距離感こそ、カサゴという魚の本質なのかもしれません。
▪️釣り人にとってのカサゴ──「最初に出会う先生」
釣り人にとって、カサゴは特別な存在です。
派手な大物でもなく、回遊魚のようなスピード感もない。
それでも多くの人が「最初に覚えた魚」としてカサゴの名を挙げます。
堤防の足元、テトラポッドの影、岩の隙間。
そこに仕掛けを落とせば、静かに、しかし確実に反応が返ってくる。
強く引くわけではないけれど、確かな重みが竿先に伝わる。
その瞬間、多くの人が“釣るという行為”の本質を知るのです。
カサゴは簡単には逃げません。
しかし、雑に扱えばすぐに姿を消します。
根に潜られる前に引き上げる判断力、
アタリを待つ忍耐、
そして魚への敬意。
釣り人にとってカサゴは、
「魚と向き合う姿勢」を静かに教えてくれる存在なのです。
▪️カサゴの繁殖
カサゴのもう一つの大きな特徴は、その繁殖方法にあります。
多くの魚が卵を産み落とす中、カサゴは“卵胎生”という特異な方法を取ります。
メスは体内で卵を育て、稚魚の形になってから外へ送り出します。
外敵にさらされやすい卵の段階を体内で守ることで、生存率を高めているのです。
この繁殖戦略は、動きの少ない岩礁域で生きる彼らにとって極めて理にかなっています。
遠くへ移動せず、確実に命をつなぐ。
数ではなく、確実性を選ぶ生き方です。
その姿はどこか、人が「守るべきもの」を選び取る姿にも重なります。
大量に残すのではなく、確実に残す。
派手ではないが、確かな継承。
この静かな選択こそが、カサゴという存在の核心なのかもしれません。
▪️食文化に刻まれた、静かな価値
カサゴは派手な高級魚ではありません。
しかし、その味わいは多くの料理人に愛されてきました。
白身は締まりがあり、火を通しても崩れにくく、出汁の旨味が深い。
唐揚げにすれば、骨まで香ばしく、余韻が残る。
煮付けにすれば、身からじんわりと滋味がにじみ出ます。
とりわけ、家庭料理としてのカサゴは特別です。
「カサゴの煮付け」は、魚料理の中でも完成度が高い一品です。
甘辛い煮汁の中でも身が崩れず、最後まで存在感を失いません。
祝いの席ではなく、日常の食卓に静かに寄り添う存在。
派手さよりも、確かさ。
その姿勢は、生き方そのものを映しているようにも思えます。
▪️「目立たない強さ」という価値
現代は、目立つこと、声を上げることが価値として扱われがちです。
しかし、カサゴはそれとは正反対の場所にいます。
声を張り上げず、競わず、ただ自分の場所を守る。
それは決して弱さではありません。
むしろ、揺るがない強さです。
人もまた、常に前に出る必要はないのかもしれません。
静かに、誠実に、自分の位置を保ち続けること。
カサゴは、その在り方を私たちに教えてくれます。
▪️終わりに ― 岩陰で続く、静かな営み
カサゴは派手に主張しません。
しかし、海の中で確実に命をつなぎ、世代を超えて同じ場所に戻ってきます。
それは、変化の激しい世界においても、
「変わらないこと」を選び続ける強さです。
人間社会でも、声高に主張することが正義のように見える時代があります。
けれど、静かに続けること、守り続けることもまた、ひとつの強さです。
カサゴは教えてくれます。
目立たなくてもいい。
深く根を張り、自分の場所を守ること。
それが、長く生きるための知恵なのだと。