19. “秋を走り抜ける銀の閃光” 『サンマ』の軽やかな衝動
秋の海に、一本の細い銀色が走ります。鋭く、速く、そしてどこか落ち着きがない。
それがサンマです。
日本人にとってサンマは、魚である以前に「季節」そのものです。 網に入った瞬間、炭火に乗った瞬間、あるいは七輪の煙が立ちのぼった瞬間に、私たちは「ああ、秋が来たのだ」と理解します。
しかし、その親しみやすさの裏側で、サンマは驚くほど軽く、速く、衝動的に生きる魚でもあります。 立ち止まらず、溜め込まず、振り返らない。その生き方は、海の中でもひときわ落ち着きがなく、そしてどこか愛おしい。
▪️サンマの漢字——「秋刀魚」という見事な命名
サンマは漢字で「秋刀魚」と書きます。 この三文字ほど、魚の性質を的確に表した漢字はそう多くありません。
「秋」は、言うまでもなく旬の季節。 「刀」は、細く鋭く光る体つき。 「魚」は、そのまま生き物としての正体。
つまり秋刀魚とは、秋に現れる、刀のような魚。
日本語の観察眼の鋭さに、思わず唸ってしまいます。
この名前が定着したのは江戸時代以降とされますが、 それ以前から、サンマは「細くて速い魚」として知られていました。
人は古くから、この魚の“落ち着きのなさ”と“鋭さ”を見抜いていたのです。
▪️サンマの身体——軽さに全振りした構造
サンマの体は、徹底して「軽さ」を追求しています。
・細長く
・体高が低く
・無駄な肉がほとんどない
その姿は、まるで海中を滑走するナイフのようです。
重さを感じさせない体は、回遊魚の中でも特に反応が速い。
捕食者が近づけば即座に方向転換し、餌を見つければ迷わず突っ込む。
その判断は一瞬で、ためらいがありません。
この「考える前に動く」性質こそ、サンマという魚の最大の特徴です。
▪️生態——止まらない回遊、落ち着かない一生
サンマは、北太平洋を大きく回遊する魚です。 春から夏にかけて北上し、
秋になると南下しながら日本沿岸に現れます。
重要なのは、サンマが一箇所に留まらない魚だということです。
・水温
・餌の量
・潮の流れ
そのどれかが変わるだけで、サンマの群れはすぐに移動します。
「ここでいい」と腰を落ち着けることができない。
それは不安定さでもありますが、同時に、生き残るための本能でもあります。
軽く、速く、次へ次へと動き続ける。サンマの回遊は、まさに衝動の連続です。
▪️海の栄養循環——サンマは“軽い命の媒介者”
サンマは、海の中で非常に重要な役割を担っています。
彼らは
・プランクトン
・小型甲殻類
といった、下層の栄養を大量に食べ、それを自らの体に変えます。
そしてその体は、
・マグロ
・カツオ
・サメ
・海鳥
といった上位捕食者へと引き渡されます。
サンマは、栄養を軽やかに運ぶ存在なのです。
自分の体に留めることなく、次の命へと手渡していく。そこに重さはありません。
前記事に登場したイカナゴと比べると、
サンマとイカナゴはどちらも大型魚を支える重要な餌魚ですが、その役割は大きく異なります。
イカナゴは、
春の沿岸, 砂地に潜む, 短期間で一斉に現れる
という性質を持ち、繁殖期の大型魚を支える「春の集中型エネルギー」です。
一方サンマは、
秋から初冬, 外洋から沿岸へ, 広範囲を回遊
という動きを見せ、成長期・越冬前の大型魚を支える「移動型エネルギー」となります。
つまり、
イカナゴ=「春の命の点火装置」
サンマ=「秋の体力補給」
この違いがあります。
ブリ、カツオ、マグロといった回遊魚たちは、 春にイカナゴで勢いを得て、秋にサンマで体を仕上げる。
サンマは、海の一年を締めくくる栄養のバトンとも言える存在なのです。
▪️漁と人——追いかけるしかない魚
サンマ漁は、待つ漁ではありません。
魚群探知機で群れを見つけ、素早く船を寄せ、一気に網を打つ。
もたもたしていると、サンマはすぐに消えます。
漁師たちは知っています。 この魚は、迷っている暇を与えてくれないと。
そのため、サンマ漁は常に緊張感があります。 判断が遅れれば、その夜の水揚げはゼロになることもある。
軽く、速い魚は、人にも同じ速さを要求します。
▪️食文化——「軽さ」を楽しむ日本の知恵
サンマの食文化は、日本列島の北から東にかけて特に色濃く根づいています。
とくに水揚げで知られるのは、
北海道(根室・釧路)
三陸沿岸(岩手・宮城)
千葉県銚子沖
これらの地域では、秋になるとサンマは「特別な魚」ではなく、日常に深く入り込む魚として扱われてきました。
北海道では、新鮮なサンマを刺身やたたきで食べる文化があります。 脂ののった身は意外なほど甘く、軽やかで、噛むほどに旨味がにじみます。
三陸では、塩焼きはもちろん、
みりん干し
煮付け
なめろう
といった加工・保存の知恵が発達しました。 これは、サンマが「一時的に大量に獲れる魚」だからこそ生まれた文化です。
関東では、七輪で焼いた塩焼きに大根おろしとすだち(または酢橘に近い柑橘)を添える形が定番となり、 煙と香りごと秋を味わう魚として定着しました。
サンマは、日本の食卓で特別な存在です。
脂がありながら、どこか重くない。焼いても、煮ても、刺身にしても、後を引かない。
特に塩焼きは象徴的です。 内臓ごと焼き、 大根おろしで受け止める。
脂と苦味と酸味。 それらが一瞬で通り過ぎ、 胃に残らない。
この「軽さ」こそ、サンマが長く愛されてきた理由でしょう。
▪️サンマの味——衝動的なのに、飽きない
サンマの脂は、強烈ですが、しつこくありません。
最初の一口で「うまい」と感じ、
二口目で「もう一口」と思わせ、
三口目で「もういいかな」と自然に収まる。
これは、計算された味ではありません。 衝動的で、潔い味です。
その理由は、
脂の融点が低い
筋繊維が細く、身に水分を多く含む
という構造にあります。
焼くと脂が滴り落ちますが、口に残るのはしつこさではなく、一瞬の甘みと香りです。
この「通り過ぎる旨さ」こそが、サンマが毎年「また食べたい」と思わせる理由でしょう。
人はサンマを、腹いっぱい食べるためではなく、 季節を感じるために食べているのかもしれません。
▪️軽躁という煩悩——サンマが映す心の揺れ
仏教でいう「軽躁」とは、心が落ち着かず、すぐに次へ移ろうとする状態です。
サンマは、まさにその性質を体現しています。
・止まらない
・考えすぎない
・今を逃さない
しかし、そこには悲壮感がありません。 軽躁は、必ずしも悪ではない。
動くからこそ生き延び、 移ろうからこそ季節になる。
サンマは、「落ち着かないことも、生き方の一つだ」 と教えてくれる魚です。
▪️終わりに——秋を通り過ぎる魚
サンマは、 長く海に留まりません。
気づけば現れ、 気づけば消えていく。
しかし、その短い滞在は、 確実に人の記憶に残ります。
重くなく、
深刻でもなく、
けれど確かに美味しく、
確かに季節を連れてくる。
衝動的で、軽くて、短命に見える魚が、
実は多くの命を次の季節へ運んでいる。
サンマとは、軽やかに生きることの肯定なのかもしれません。
秋の夜、煙の向こうに銀色の皮が光ったとき、
その一瞬を、どうか逃さず味わってください。
それは、すぐに去ってしまう魚が残してくれる、
ほんの短い贈り物なのです。