09. 海の“孤高を泳ぐ者”『ヒラマサ』という魚。
海には、群れで生きる魚がいます。
一方で、同じ海の中にいながら、どこか一匹で立っているように見える魚もいます。
ヒラマサは、まさにそんな存在です。
西日本の外洋。
潮が速く、岩礁が張り出し、波が常に動き続ける海。
ヒラマサは、穏やかな湾内よりも、そうした落ち着かない場所を好んで泳ぎます。
楽な環境を選ばず、むしろ厳しい海に身を置く。
その姿から、自然と「孤高」「別格」という言葉が浮かびます。
▪️見た目は端正、しかし中身は荒々しい
ヒラマサは非常に美しい魚です。
背中は深い緑色、腹は銀白色に輝き、体のラインは無駄がありません。
同じアジ科のブリやカンパチと比べても、輪郭がシャープで、引き締まった印象を受けます。
市場で並ぶと、すぐに分かると言われます。
脂の派手さではなく、身の張りや切り口の透明感が違う。
料理人の間では「腕が試される魚」とも言われ、
ごまかしの効かない素材として扱われてきました。
しかし、その端正な見た目とは裏腹に、生き方はかなり荒っぽい魚です。
▪️岩礁帯を支配する、生態の強さ
ヒラマサは回遊魚ですが、ブリのように広大な海を長距離移動するタイプではありません。
彼らが主戦場とするのは、岩礁帯や潮目。
流れが速く、判断を誤ればすぐに岩に叩きつけられるような場所です。
獲物を見つければ、ためらわず一直線に突っ込む。
群れに頼らず、単独、あるいは少数で狩りを行う。
その行動は力強く、直線的で、時に無謀にさえ見えます。
釣り人の間で「ヒラマサは別物」と言われるのも、この生態ゆえです。
掛かった瞬間の突進力、岩へ向かう執念、そして最後まで諦めない引き。
まるで、誰の助けも前提にしていない魚のようです。
▪️ブリ・カンパチとの違い
ヒラマサを語るとき、必ず比較されるのがブリとカンパチです。
三者は同じアジ科でありながら、生き方も性格も大きく異なります。
ブリは、回遊のスケールが大きく、環境に応じて姿を変える魚です。
成長に合わせて名前が変わる「出世魚」として、人の文化に深く入り込んできました。
勢いと拡張性を持ち、時代を一気に駆け上がる存在。
例えるなら、豊臣秀吉のような魚です。
カンパチは、状況判断に優れ、無理をしません。
潮を読み、環境を選び、強さを保ち続けるタイプ。
派手さはありませんが、安定感と信頼感があります。
こちらは、徳川家康に近い存在でしょう。
そしてヒラマサ。
ヒラマサは、そのどちらとも違います。
環境を言い訳にせず、力で突破する。
常識や前例よりも、自分の強さを信じて突き進む。
まさに、織田信長のような魚です。
▪️食文化におけるヒラマサ
ヒラマサは高級魚とされますが、それは脂が多いからではありません。
身は締まり、透明感があり、噛むほどに旨味が広がります。
刺身では澄んだ味わいが際立ち、
火を入れても身崩れしにくく、塩焼きやしゃぶしゃぶでも力を発揮します。
これは、鍛え抜かれた筋肉を持つ魚ならではの味です。
脂で押すのではなく、素材そのものの強さで勝負する。
その姿勢は、生態ともよく重なります。
▪️ヒラマサに漂う「孤独」
ヒラマサは、決して完全な単独行動の魚ではありません。
それでも、群れに寄りかかる印象が薄いのは確かです。
外洋の厳しい環境では、群れは時に弱点にもなります。
強さがあれば、一匹でいた方が合理的な場面もある。
ヒラマサは、そうした海の現実を体で知っている魚です。
孤独を求めたのではなく、
結果として孤独な位置に立ってしまった。
そこに、人間の心にも通じる何かを感じてしまいます。
▪️終わりにーー孤高のプライド
ヒラマサは、静かに孤高をまとった魚です。
群れず、頼らず、しかし誇ることもなく、
ただ自分の力で海に立っています。
その姿は、
誰にも頼れない瞬間、
一人で判断しなければならない場面に立つ私たちの姿と、
どこか重なって見えるのかもしれません。
ヒラマサは今日も、
外洋の荒れた海を、まっすぐに泳いでいます。